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――人の手を引く、なんて、女にとってはあり得ないことだった。
他人は自分に触れられるのを嫌っていると、心のどこかで思っていた。
常に傍らに並んでいた老婆とて、常にほんの少しの距離があった。
だけれど。
暗がりばかりの最下層を離れ、光に満ち溢れた最上層を見て。そうして、沢山の人に出会って。
女は、触れられることと、触れることを、覚えた。
……それでも、その手のひらはいつだって、ナイフを握るためにあると信じて疑っていなかったけれど。
* * * * * * * * * *
「ここよ、ここ。私のお気に入りの、お店」
はしゃいだ口調で、女は少女を振り返った。
少し急ぎ足になっていただろう歩調。それに合わせてくれた少女は、少し小走りに女の隣に並んだ。
「どんどん裏に入っていくからびっくりしたけど、こんなところに喫茶店があったなんて、知らなかったわ!」
小ぢんまりとした、と言えばきっと当てはまるだろう佇まいの建物を見つめ、少女は少し興奮気味に告げる。
それを見て、女は嬉しそうに微笑み、少女の手をとった、まま、扉を開けて促した。
さぁどうぞと、まるで自分の家に友人を招くような所作で。
彼女達が件の喫茶店を訪れるきっかけとなったのは、少女のほんのささやかな一言だった。
アンケートのようなチラシが自分の下へ配られているのに気づかずに居た女が、期限を過ぎてしまった頃、そのことを少女に告げたところ、うーん、と一度首を傾げた少女が、ぱっと、良い事を思いついたような顔で、こう言った。
「それじゃあ、罰ゲームとして私に紅茶を一杯おごって頂戴!」
……なんてね、と。少女は確かに冗談であることを含めて言ったのだ。
だが、笑いながら見つめた女は、先ほどの少女と同じく、とっても良い事を思いついたような、そんな顔をしていた。
「それなら、とっても素敵なお店があるの」
あぁ、でも、ちゃんとアンケートには答えるわ。送ってくれてありがとう。お店はきっと毎日やっていると思うけれど、確かめた方がいいかしら。それにしても誰かに紹介するなんて初めて。何だかどきどきするわ。気に入ってもらえたら…うぅん、きっと気に入ってもらえると思うの。
「だから、ね、行きましょう?」
普段はどこか大人びた態度を見せている女が、独り言とも付かない言葉で捲くし立てるほどに喜んで告げるものだから、目をぱちくりとした少女は、ただただ頷くことしかできなかった。
そうして、今に至る。窓辺の席に向かい合って腰をかけ、お勧めのメニューを頼んだ二人は、他愛もない話を繰り返し、時折、午後の穏やかな陽光につられてか丸くなって眠る猫を見つけては、ほのぼのと眺めていた。
「このお店には、いつから通っているの?」
「一年……と、もう少しぐらいかしら。通うと言うほど頻繁でもないのよ。でも、でもね、時々どうしても飲みたくなるの」
「判る、判るわ! 美味しいものって、時々無性に食べたくなって仕方ないこと、あるわよね」
大きく頷いて同意を示す少女に、嬉しそうに笑みを返したところで、「お待たせしました」と声がかかり、頼んだメニューが運ばれてきた。
ミルクティーと、スコーン。女が良く頼むメニューだと言う。
立ち上る湯気に乗って、深みのある紅茶の良い香りが漂ってくる。
カップを取ってその香りを楽しんでから、一口。
そうして、少女はふわりと、暖かな笑みを湛えた。
「とっても美味しいわ!」
そわそわとしながら見つめていた女は、その一言に、ほっとしたような顔をして。それから、自分も口をつけて。
「私、ね」
口の中に広がるほんのりと甘い味に促されたように、囁いた。
「夢だったの。……お、おともだち、と、お気に入りのお店で、一緒にお茶を飲むのが」
一度だけ躊躇いの間を挟んだ言葉に、くすっ、と少女は笑みを零す。
「私で、良かったのかしら?」
ちょっぴり意地悪な問いかけに、女は目を丸くしてから、苦笑に良く似た笑みを、浮かべた。
「ええ。私の、大切な、お友達だもの」
一言一言、噛み締めるように、ゆっくりと。
「今日は、ありがとう」
互いにカップを手にして告げれば、まるで乾杯のようで。
言葉を結んだ時には、女はただただ幸せに満たされた笑顔を湛えていた。